第十章 フェア
なんで自分が、こんな恥ずかしそうに顔を逸らしているのか分からない。私のことを見て、悪友三人組は一層笑みを深くした。でも、サムさん本人は何も分かっていないままみたい。
「お寿司はまだ来ないの? 海底までウニを探しに行ったのかしら」
「気が短すぎるよ、モイ。色々頼んだから、ちょっと待ってなさい」ケードさんが落ち着かせようとすると、サムさんは首を横に振って私のことを見た。
「お腹空いた?」
「大丈夫です」
その話をしてからすぐに、店員さんは料理を運んできた。テーブルには、色とりどりで美味しそうな食べ物がいっぱい並んでいる。お姉さんたちは、携帯を取り出して写真を撮り、すぐにSNSへ投稿し始めた。サムさん一人を除いて。
「サムさんは写真を撮らないんですか?」
「撮る理由が分からない」
「まぁ、モイってこういうことに興味がないのよね。こいつの任務は食べることだけだから。そうだ、最近の出来事を聞かせてくれない? じゃないと、お前をフォローしてるファンとセレブたちに『このお金持ちって何も話さないな』って思われちゃう」
いつも表情を変えないボスは、ちょっとイライラしているように見えた。でも、友達が写真を撮り出したから、ちょっとすまして笑顔を見せた。サムさんに会えてから、笑っているところを一回しか見れてない。でもそれは、オフィスで会社のみんなが怖がっていたあの時。今のサムさんの笑顔は、あの時と一緒。
心からの笑顔じゃない……十年前と全然違う。
「オッケー! アップするわね」
しばらくして、サムさんのアカウントに今撮った写真が現れた。驚いて、携帯を二度見する。なんで、ケードさんの携帯で撮影した写真が、サムさんの個人のアカウントにアップされたんだろう。
サムさんはまだ、何もしてないし、携帯を触ってすらいないのに。
「写真を投稿したのはケードさんなのに、どうしてサムさんのアカウントが更新されたんですか?」
目の前の料理を夢中になって食べているケードさんは、こちらを見ずに答えた。
「そのアカウントは私が持っているのよ」
「え?」
「モンちゃんもモイのアカウントをフォローしてたの? 外した方がいいわ。そこに書いてあるのは嘘ばかりだから。書いたの私だもん」
状況が飲み込めていなくて、瞬きを繰り返した。混乱している表情の私に気がついたティーさんが、説明を付け足してくれる。
「レディのやつ、こういうのやってないんだ。友達とやり取りをするためのメッセージアプリしか持ってない。それ以外に存在してるのは、私たちが作ってあげたもの。社会に仲間入りするためにね……こいつのアカウントをよく見ると、仕事の話しか載ってないんだ。プライペートの話はほとんどない。あっ、そうそう……雑誌に載っている情報とかもね。全部、嘘」
ショックだ……。
私は少し眉をひそめながら、サムさんの方を見た。
「何?」
「雑誌のインタビューは……?」
「私じゃない」
二回目のショック!もう、頭の中は真っ白。でも、頑張って話の内容を理解しようとしてる。ずっとサムさんの人生を、追ってたよ。全ての情報も、活動も頭の中に刻み込んでたのに。なのに……全部嘘だったなんて……。
「分からなくなりました」首を横に振りながら、そう伝えた。頭の中にある情報を消して、はっきりさせたくて。「つまり、サムさんの本当の話は、どこにもなかったってことですか?」
「私のことについて、知らない人に話すのが好きじゃないの。あたしが猫派か、犬派か。好きな色は? 将来の夢は? 何をしたい? なんでそんなことを知りたいのか、理由が全く分からないから。知ったところで、あたしの意思を応援してくれる訳じゃないでしょう?」
「心が狭いなぁ、モイは。そういうのを聞いて、参考にしたいからだよ。お前は良い生活を送ってるだろ? だから他の人は、お前みたいになりたいんだ」
ショックで、もはやお姉さんたちの言い合いも、あまり頭に入ってこない。コレクションしていた十四年間の情報は、ゴミも同然だった。真実は一つもなかった。なんてこと……。
「じゃあ、サムさんの好きな色は赤じゃないし、夢は幼稚園を作りたい訳でもないし、好きな音楽も、R&Bじゃないってことですか?」
狂ったような勢いで問いただす私を見て、みんなは不思議そうに顔を見合わせた。隣にいるティーさんは、現実に引き戻そうと私をつついた。
「大丈夫? モンちゃん」
「それなら、その情報は一体どこから来たんですか?」ティーさんの問いに答えないまま、自分の髪を引っ張った。ずっと騙されてきた気分。
「それは私たちからだよ。モイにクールなイメージを持ってもらえるように、プロフィールを作り直したんだ。赤が好きなのは、本当は、私」ケードさんは、手を上げて自白した。
「私は幼稚園を作りたいよ」ティーさんも続ける。それから、ジムさんを指した。
「私はR&Bの音楽が好き。あっ、猫派ってことも私ね……モイって犬派だから」
驚愕している私の表情に気づいたらしいサムさんは話しかけてきた。
「あんたはあたしのことをよく知っているのね。なるほど、そういえば……あたしのファンだった」
「はい、私はサムさんのファンです。知っていることが全て本当のことじゃなかったって分かって、びっくりしました」
まだショックから立ち直れなくて、正直な気持ちを伝えた。今は気分のコントロールができなくて、何も躊躇することはない。ケードさんは顎に手を当てて、興味深いとばかりに質問を投げかけてきた。
「モンちゃんはなんで、そんなにモイのことが知りたかったの?」
「私にとって、サムさんはアイドルです。サムさんみたいになりたくて」ケードさんに答えながら、自分が実は何も知らなかったことが恥ずかしくなってきて、顔を手で隠した。
「ショックすぎて、もうどうしたらいいか分かりません」
「アイドルなの? どういう意味?」
ティーさんとジムさんも、気になったみたいで尋ねてきた。そして、誰よりも一番私の近くに座っていたサムさんは、手を伸ばして、顔を隠させないようにって私の手を引っ張った。
「ちゃんと話しなさい。他の人と会話するときは、相手の目を見るの」
私はサムさんに目を合わせて、何度か唾を飲み込んだ。
「サムさんみたいになりたいって思ったのは、小学四年生の時からです」
「へぇ」サムさんは、少し緊張した雰囲気を緩めた。「小学四年生からだったのね」
「そうです。ずっと前から、サムさんに感銘を受けて……それで、追いかけるようになりました。インタビューが載ったら、その雑誌を買って、そのまま保管したり……ページを切り取って、ファイルに綴じ込んだりしています」
「……」
「サムさんの大学、サムさんの学部……どこだって絶対に入ろうって決めてました。だから、高校一年生の時から猛勉強をして。すごく難しかったけど、サムさんと同じ大学、学部に入学したくて、必死に頑張りました……」
「それで? 入学できた?」ティーさんは興奮気味に聞いた。私はしっかりと頷いた。
「入りました。同じ所に入学ができたんです」
「そこまでモイに感動した理由は何? 芸能人なら分かるけどね。なんでこの感覚がないお馬鹿さんなの?」誰よりもワクワクしている様子で、ジムさんは私の椅子の後ろまで走って移動してきた。まるで、一言も聞き漏らすまいとしているみたいに。
「だって……小さい頃に、サムさんが笑いかけてくれたから」
「モイの笑顔で!?」ケードさんは胸に手を当てた。サムさんも驚いた顔をしている。
「小さい頃っていつ?」
「私が小学四年生の時です。サムさんはもう覚えていないと思いますが、あの時サムさんは犬のトラを抱いて、母の所へ来ました。家では犬が禁止だから、そう言ってサムさんは泣いていましたよね。私の母は学校の管理作業員でした」
「覚えてる」サムさんは目を見開いて、私を見つめている。「ちょっと待って、あんたはその時の女の子なの?」
「はい。サムさんは笑いかけてくれて……私の頭を撫でてくれました。忘れられません。それから、ずっとサムさんに憧れていました」甘い顔のその人に、もう一度目を合わせた。今まで感覚がないかのような表情だったけど、今、サムさんはショックを受けているみたい。「だから、私は今、自信を失いました。サムさんのことを誰よりも知っているって自負してました。でも、その情報は全部嘘だったんですね」
サムさんは私の気持ちを聞いて、改めて視線をこちらに向けた。ショックなのか、何か他の原因があるのか、分からないけど。その美しい人は、自分の胸に手を当てながら、椅子に座ったまま後ろへ倒れ、ドンッと音がした。
「モイ!」ティーさんは立ち上がって、倒れたその友人に手を貸した。そして、笑い出した。「どうしたの?」
「サムさん、痛みますか?」
助けようと、私も手を差し出した。でも、その手はサムさんに振り払われた。まだ力が入らないみたいだけど、その動きは速い。私は動きを止めた。ギャング仲間たちは、お互いの顔を見て、奇妙な笑顔を浮かべた。特に、ケードさんが。
「あら……面白い二人」
パーティはお開きになった。ジムさんの結婚式の招待状が配られた後、それぞれの家へ帰っていった。今、サムさんと私は、ずっと喋らずに、並んで歩いている。ショックという感覚はもう消えた。でも、その代わりに、今は恥ずかしさが増している。だって、自分が、どこの誰かって全部話しちゃったから。
絶対に馴れ馴れしいって思われる。
「サムさん」
「……」
サムさんは一言も発さずに、ただ静かに私の顔を見て、上着のポケットに手を入れた。
「サムさんの好きな色はグレーですよね」
「そうよ」
サムさんは感情がない顔のまま、すぐに答えた。それから再び、沈黙が流れた。まぁ、少なくとも好きな色は赤じゃないって分かったんだ。これは雑誌にも載ってない本当の……本当のこと。それに、私が自分で見つけた真実。
「結局、今まで私はサムさんのことを何も知らなかったんですね」
「大丈夫。これから時間をかけて、あたしの好きなものや嫌いなものが何か知っていけばいい」
その言葉で、急に気持ちが楽になった。まるで、サムさんのことをもっと知るために、プライベートな領域まで近づいて、入ってきてもいいよって、許可を受けたみたいで。
「モン」
ずっと表情を崩さないその人は、あまり私をニックネームで呼んでこなかった。だから、改めてこう呼ばれると、なんだかちょっと照れてしまったけど、相手を目を合わせた。
「はい」
サムさんは何かに気がついたような顔をして、私を注意深く見つめた。それから、手を伸ばして、私の身長を測るような仕草をした。
「大きくなったね」
「ん?」
「でも、ここまでかな。チビだなぁ」
「私はサムさんと同じ身長ですよ」
「だから、チビって言ったの。あたしの身長は百六十一センチ。あの日の女の子は、もう女性になったんだね」サムさんは目を細めて、私を見つめた。そして口の端を上げて笑った。「あんたがポーンおばさんの娘って、最初から教えてくれたらよかったのに」
「仲良くなろうと近づいてきたって思われたくありませんでした。それにサムさんは結構人間関係に注意されているみたいなので。私が薬を買って、横で看病していた時も、仲良くしたいんでしょって言ってましたよね」
「そんなこと言ってない」
「サムさんの態度がそう言ってました。だから、黙っていたほうがいいって思ったんです」その時、唐突に思い出した。お母さんから渡されたトラの写真があったことを。財布から取り出して、サムさんに見せてみた。「これは、お母さんが印刷して、サムさんに渡したがっていた写真です」
サムさんは、トラの写真を受け取った。それを見て……その人は顔をほころばせて、満面の笑みを浮かべた。
ドクン……。
ドクン……。
私の心臓が激しく、不規則に動いている。そのせいで、私はとっさに目を逸らした。この笑顔は、十年前のあの時と同じだ。雑誌に載っているいつもの笑顔じゃない。しかも、さっき友達といた時の笑顔とも違う。
「トラは元気?」
「もう死んじゃったんです」
サムさんは一瞬黙り込んで、ため息をついた。
「あれから、十年も経ったしね。年齢を考えても、そうだよね。少なくとも野良犬にはならなかった」
「えぇ、トラは私とすごく仲良しでした。トラを見ると、いつもサムさんのことを思い出していましたよ」
「あたしの顔が犬に似てるって言ってるのかしら」
話の内容を中々汲み取ってくれない人だなぁ。今日のカニの話もそうだし……まったく、もう。
「トラはサムさんの代理というか……トラを見るとサムさんが笑いかけてくれた時を思い出しました。なんというか……トラの中にサムさんの優しさを見ることができていました」
「そんなにあたしに感動したの?」
サムさんは私に目も合わさず、恥ずかしそうに言った。その気持ちがなんとなく分かる。もし自分にものすごく憧れて、感動してる人がいるって知ったら、どうしたらいいか分からなくなっちゃうよね。
「私が男だったら、もうサムさんをナンパしちゃってますよ」
サムさんは手で自分の顔を隠した。そして、指の隙間から、私を見てこう言った。
「どっか別の場所、向いて」
「え?」
「あたしの顔を見ないで。さっさと歩きなさい」
「サムさん、どうしたの?」
「あたしの言うこと聞かないと、給料カット!」
いい雰囲気だったのに、こんなことを言われるなんて。何も言わずに、私は先に歩き出して、サムさんの家へと足を進めた。もうすぐ到着する……その瞬間、急にサムさんが喋りかけてきた。
「知ってるよ。あんたはピンクが好き」
「え?」意味が分からなくて、さっきからずっと無言を突き通していたその人に目を向けた。「サムさん、何か言いましたか?」
「これでフェアね」
「どういう意味ですか?」
「あたしがグレーが好きって知ったばかりよね。こっちも、あんたはピンクが好きって今知ってる。お互い分かってて、相手より優れてるとかはない。公平よ」
「……」
「ゆっくりお互いのことを知っていきましょう」
サムさんはそう言って、私にそれ以上何も言葉をかけず、さっさと家の中に入った。置いて行かれた私はびっくりして立ち尽くした。心臓の音が大きくて、まだドキドキしている。
ドクン、ドクン……私の心臓の鼓動が鳴り止まない日々が続いている。
第十一章につづく
こちらはGAP Pink Theory配信版です。
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