第九章 悪友
オレンジの光に包まれながら、お互いに見つめあっていた。サムさんとの距離は十センチもない。心臓がいつもより速く、一六〇キロ以上のスピードで、加速しているような気がする。眩暈がしてきた。私に跨っているその人は、薄い茶色の瞳で私を長い間見つめてくる……なんだか真夏のアイスのように溶けちゃいそう。
「あんた、眠いの?」
「は……はい」
「めやにがついているわ」
「本当ですか!?」 恥ずかしくて、素早く自分の目を拭った。サムさんは立ち上がって、ベッドに戻り、私に背中を向けたまま、隣で寝始めようとした。
「何もついてないみたいです。あっ、サムさんの冗談ですか?」
「冗談なんかじゃない」
「冗談ですよね!?」
「意味が分からない。もう寝ましょう。おやすみなさい」
なんなの。なんでこんな簡単に眠れちゃうの?混乱しながら、眠ってしまったのか、もう動かないその人を眺めた。そして、ベッドライトを消して、私も横になった。
うん。まぁいっか……さっきの雰囲気は、なんだったのか分からないけど。今も心臓がドキドキしている……。
翌朝……。
外からの光が眩しくて、目が覚めた。そうだった。ここは私の家じゃない。そう気がついてすぐに姿勢を正した。バスルームからシャワーの音がして、ハッとする。
あぁ……本当に夢じゃなかったんだ。私は、サムさんの家にお泊まりをして……同じベッドで一緒に寝てたんだ。
驚きと、ドキドキが入り混じっている。でも、サムさんがカジュアルなグレーのTシャツとネイビーのスウェットパンツで現れた瞬間、その気持ちは消えていた。
「起きるのが遅いわ。毎日、朝四時に起きてるって言ってたじゃない。嘘つき」
「だって、昨日は誰かさんが夜中まで寝かせてくれなくて……サムさんは早起きですね」
気づかれないように努めながら、相手の目の下にしっかり残っているクマに目を向けた。しかも、シャワーを浴びたばかりのはずなのに、その綺麗な瞳の中には疲れを感じる。
「サムさんはお疲れのようですね。寝不足の人みたい」
「ぐっすり眠れるあんたの方がおかしいわ。いびきの音が大きすぎて、田んぼの水牛もマイナの鳥と噂話しちゃうと思う」
「水牛がマイナの鳥と話す……? サムさんは見たことがあるんですか?」
「ほら、あれよ。イソップ物語の」
「そんな話もあるんですか?」
「母ガニが子ガニと話せるのでしょう? だったら、水牛と鳥も話せるわ」
なんで朝早くから、カニや水牛のことで言い合いをしているのかな……。どうせ負けてしまうのに、こんなくだらない話で競いたくない。私は話を切り上げて、シャワーへと向かった。でも……。
「あたしの私服を着ても構わないわ。昨日の服を着るのはよくないから」
「よくないってどういう意味ですか?」
「汚い。それにかっこ良くないわ」
そうなんだ……あまり意味を理解できていないまま、なんとなくうなずいた。少し申し訳ない気持ちもあったけれど、サムさんの言うことを、素直に聞こう。十五分くらいシャワーを浴びて、箱から出された新品の歯ブラシを使いながら、服選びに取り掛かる。クローゼットを開くと、服の色はほとんどは暗いもの、あとは白だ。
あれ?赤色がない。
インタビューにはあれほど派手な赤色が好きって書いてあったのに……。
サムさんが着ていた服に似ているカジュアルなTシャツとスウェットパンツを選んだ。ジーンズは、どれも値段が高そうで、あまり触りたくなくて。バスルームから出ると、サムさんはチラッと私の方を見た。
「あ、真似したね」
「でも……サムさんの服はどれも似てます。大体、暗い色だし」
「楽だからね」そう言いながら、サムさんはバスルームにかかっていたスポーツジャケットを上から羽織った。「これで違うわ。同じものを着ていたら、付き合ってるって周りから思われちゃう」
その言葉を聞いて、なんだか少し恥ずかしさを覚えた。
ただ、服が似ているってだけなのに、なんで私は、こんな気持ちになるのかな。
なんと返せばいいか分からなくて困っていると、サムさんの携帯が鳴って、その人は真顔で、一瞬自分の携帯を見ていた。それから、何かを思い出したように私と携帯を交互に見始めた。
「今日は友達と会う約束があるの。すっかり忘れていたわ」
「どうぞそちらへ行ってください。私はタクシーで帰りますね……」
「お腹空かないの?」
「大丈夫です」
「タダなのに?」
「家でのご飯もタダです。帰ってからいただきます」
「おいしいのに」
「母の手料理も美味しいですよ」
「高級料理よ」
「でも……」
「あんたはお金がないでしょう?」
何よ、その言い方は……。
「つまり、サムさんは私を一緒に連れて行きたいってことですか?」
「情報を伝えてるだけ。あんたは行きたかったら、お願いして」
「行きたくない……」
「すっごく高い料理なのよ。あんたなら一生食べられない。ご馳走してあげる」
「じゃあ、行きます」
「本当、タダが好きなんだから」
なんなんだ、この人……。
分かってる。もし断り続けていたら、昨日の夜、車の中で無限ループしたあの会話と同じ状況になるだろうって。なんだか、自分のボスのことが段々よく分かってきた気がする。サムさんは、正直に気持ちを伝えられない人。だから、自分が期待している答えが出るまで、間接的な言い方をする。それと、私が諦めるまで、許してくれない人ってこともね。
素敵……。
「お店はもうすぐよ。歩きましょう」
「歩きでもいいんですか?」
「駐車場がないからね。それに遠い所に集合なら、あたしは行かないの。代わりに友達が近くまで来るわ」
「友達を家に誘ったらいいんじゃないですか?」
「嫌」
それなら、なんで私を家に泊めたのかな。きっと、この綺麗な人は幽霊が相当怖いんだ。だから、たまたまいた私を友達のように一緒に寝かせたのかもしれない。もう私はそれ以上聞こうとせず、ただ、サムさんの後ろを迷子のアヒルの子みたいにしてゆっくり追いかけた。
「なぜ後ろにいるの? 横に並びなさい」
「あ、はい……」
サムさんは立ち止まって、私が隣に来るまで待っていてくれた。二人で、目的地まで静かに歩いていく。確かに場所は、家からそんなに遠くなくて、近くの路地には、色々なお店が立ち並んでいた。
私たちは、十一時に開店したばかりの日本料理店の前で立ち止まった。お店の中にはまだ、一組のお客さんしかいない。その人たちは店内の一カ所で、賑やかに話している。サムさんがその人たちの所へ行くと、そこにいた全員が急に静かになった。
「レディのやつが来た……あれ? 知らない子と一緒みたい」
その人たちは、心底驚いたというような表情で私のことをじっと見ている。サムさんはチラッと私に目を向けた後、簡単に紹介してくれた。
「会社の部下よ。一緒に食べても問題ないわよね?」
一瞬だったけど、まるで円陣を組んだ時のように、その方たちがお互い目配せし合ったことに気がついた。それから、一斉に明るく立ち上がって、まるで田舎で親戚の飲み会に参加した時のような、親しみのある態度で私に席を勧めた。一人はテレビドラマで、いつも悪女を演じている女優さん。この人は、サムさんの学生時代からの友達って知ってる。昔よく一緒に歩いている姿を見ていたから。私のお母さんも、あの女優さんと話したことがあるわっていつも自慢げに話しているしね。
「あなたのお名前は何かな? モイ*の部下さん」
いきなり女優のお友達の「ケードさん」がびっくりするような言葉を使ってきた。周りの人たちが、注意するようにケードさんの手を叩いた。 「お嬢ちゃんに、変なこと言うなよ。まだ、私たちが普段どうしてるか知らないんだから……。君のお名前を、教えてもらってもいいかな?? 可愛い顔だね」
ケードさんの手を叩いたこの方のことも、知ってる。学生時代に、ボーイッシュな出立ちで、学生時代に大人気だったハンサムな女性。しかも、数十億もの資産を相続したお金持ちだ。
つまり、ここにいる方たちはサムさんが高校に通っていた頃の友達ってことね。
「モンと申します」
「可愛いお顔にピッタリ。名前まで可愛いのね。っていうか、どうやってモイ……あの、レディとここに来ることになったのかしら? あっ、そうそう。私はケード。よく知られてる女優だから、知ってるんじゃない?」そう自慢げに話してから、ケードさんは笑った。テレビでは冷たい印象だったけど、意外にも本人はとてもフレンドリーみたい。
「勿論、よく知っていますよ……ケードさん」
「私の名前はティー」カッコ良くて綺麗なティーさんが自己紹介をした。それから、もう一人の友達を指した。「こっちはジム」
「改名したって言ったじゃない! マータ*って呼びなさい」
「馬鹿なの? ジム*からマータに!? あまりにも違いすぎる。ジュー*をスコンナワット*に変えましたi……くらいに変だよ」
上品とはいえない会話が繰り広げられているのを見て、ちょっと顔が熱くなってきた。言葉がストレートすぎて、どんな反応をしたらいいのか分からない。サムさんと同じ学校出身、つまり、ここにいるのはみんなすごく偉い、もしくは有名なお金持ちの家柄の人ってこと、なのに……。
一般の人と変わらない面もあるんだな……。
「ちょっと、彼女に失礼だわ。悪い言葉ばっかり使って」サムさんが注意すると、みんな口を歪めて、チッと舌打ちをした。
「いきなり受け入れなくなるんだね、モイは」
「レディって呼ぶのがそんなに大変なら、サムって呼んでもいいわ。それで? メニューは? 大ファンの子に見せてあげよう」
そして、メニューの争奪戦が始まった。みんな自分が選びたいらしい。結果、手に入れたのはケードさん。彼女は私に微笑んでくれた。
「食べたいものがあったら、遠慮なく注文してね。ジムがご馳走してくれるから」
「マータだってば!」マータさんは(私は、そう呼んであげよう……)は甘い笑顔を見せた。
「可愛い子ちゃん、ご馳走してあげる。今日は、私たちにとってすごくいい日だからね」
「今日集まったのは、お前の結婚式の招待状を配るためだって教えてあげなよ」ティーさんがマータさんの代わりに、説明してくれた。それで、私は祝福の言葉を伝えようと、マータさんの方を向いた。
「おめでとうございます!」
「お祝いする必要なんてない。妊娠してしなかったら、結婚はなかった」サムさんが表情もなく言ってきた。マータさんは、水の入ったグラスに指先を入れると、そう話した相手の顔に向かって水を飛ばした。
「モイ、初めて会った人にそんな話しないで。私に敬意を払って」
「だから、その呼び方やめて」
「ケード、メニューちょうだい! 私たちのレディ・モイの代わりにオーダーしてあげるんだから!」今回の会合は、マータさんのためだったから、お願いされたケードさんは、簡単にメニューを手放して、マータさんはニヤリと笑みを浮かべた。「んで? 何を食べんの?」
「なんでもいい。食べたいものを言っても、どうせ頼まないでしょ?」
「そう、これにする……イカのお寿司」
「いいよ」
「じゃあ、いらない」口の端を上げてマータさんが、意地悪そうに笑って他のメニューを指差した。「これは? マグロのお寿司よ」
「美味しそうね」
「これも……やめるわ。なら、これ。エビのサラダ」
「まぁまぁかな」
「これも却下ね。じゃあ、ウニ。フェーンデイの映画でヌイさんが食べていたやつね」
「ウニって、生殖のあれのこと?」
「そうよ。どんな味か試してみたい?」
「……」
「……」
「やだ」
「これにします」
サムさん以外みんなが満足そうに拍手をした。サムさんは腕を組んで、無言で友達を一人一人睨んでいる。一方で、私は黙って静かにしていた。ここに来てからサムさんは、ずっとみんなにいじめられてる……なんかかわいそう。
「本当、迷惑……ちょっとトイレに行ってくる」
サムさんは席を離れて、今日が初対面なのに私を一人にした。サムさんの友達は、目配せをし合うと、腕時計で時間を確認した。
「おい、モイのやつっていつもトイレ何分くらいかかってたっけ?」
「化粧直しとかしないから、五分くらいかな」
「ジム、時間稼ぎ!」ケードさんが指示をした。でも指示された本人は不服そうにチッと舌打ちをした。
「なんで私!?」
「お前が、今日の主役だからさ。なんでもいいから話して、そこで、ゆっくりするんだ。いいか、モイが戻ってくるのを遅らせるんだぞ。こっちは任せて」
ジムさん(えっと、ジムさんと呼ぶことにします)はまた舌打ちをしたけど、すぐにトイレへ向かった。他の二人は椅子を引っ張ってきて、まるで犯人に事情聴取をするように私を囲んだ。
「八分か十分くらい時間がある。モンちゃん……ちょっと聞かせてほしい」
「はい?」不安で、お姉さんたちの様子を伺った。一体、なんの話だろう。「なんでしょうか……?」
「モイのやつとはどういう関係?」
「えぇ? ただの部下ですよ」
「そうなの? じゃあ、今着てるこの服は何? これがやつの好きな色だってことは分かってるんだ。お揃いでまるでカップルみたい」
「えっと……」モジモジしながら、でも、はっきり説明しようと心に決めた。「昨日、サムさんの家に泊めてもらいました。サムさんがひどく頭が痛くなって……だから友人として、一緒にいたんです」
「モイのやつと寝たってこと? 家に入れたの?」ティーさんは驚いたように、両手を胸に当てた。「私は、十年もあの子と付き合いがあるのに、一歩も家に入ったことがないんだ。友達のせいで、家が汚くなるって……絶対に許してくれなくて。だから、いつも外で待ち合わせをしているんだよ」
「まぁ……それは……なんででしょう……ね」
「本当にただの部下なの?」
「本当です。他に何かありますか?」
「モイの”奥さん”ってこと。えっ、まさか……? でも、モンちゃんの爪は長いから……」ケードさんは興奮しながら、質問してきた。でも、何も喋らなくなった私をみて、もどかしそうに頭を掻いた。「なんか言ってよ。やつの奥さんでしょう?」
「いいえ、私は本当にただの部下なんです」
「確かに、そうかもしれないね。モイは、そんなことできないと思う」ティーさんは納得してくれたみたい。
「女が好きな訳ではないからね。ジムから告白された時も、嫌そうだった」
「モンちゃんは可愛いし、どうだろうねぇ。でも昨日は何もなかったってマジ?」
「私は女ですよ。何をするっていうんですか」分からなくて思ったままに返事をした。するとお姉さんたちは、お互いの顔を見てから、それぞれ考え事をしているように見えた。
ふぅ……緊張する。
「でも、変だな。レディが自分に何も関係ない人を、家に連れこむなんて」ケードさんはまだ気になっているみたい。二人は黙って考え込み始めたから、私は口を開いた。
「ただのお泊まりで……そんなにおかしいでしょうか」
「おかしい。レディは本当に、誰も家に入れさせないんだ。プライベートを大事にしているからね。だから、みんながびっくりさ……友達に人を紹介するなんてこともないんだ。私たちがやつに意地悪するのを見せたくないんだろうな。でも、モンちゃん。君のことは、紹介してる」
うん、確かに。私もびっくりしてる。
「カークさんですら、私たちは会ったことがないよ」ティーさんがそう言った。
「えっ、本当ですか?」意外だ。
「それは……普通じゃないですね」
「そうでしょう? 普通じゃない」
「でも、レディのやつ、いつも変なんだ。やつが心で何を考えているのか、中々分かりきれないね」
ティーさんは顎に手を当てながら続けた。「行動と、伝えたいことを分析しないと。やつの生き方は、難し過ぎるんだ。普通の人なら、絶対に理解できない」
「そんなにですか?」
「一緒にいて気づかなかった? 欲しいものがあっても、正直に言わないだろ? その代わり、回りくどく相手へプレッシャーをかけるんだ。結局、相手がイライラして、欲しいものを与えてしまうってわけ。ツンデレの独裁者だね」
そういえば、結構思い当たる節がある。例えば、ここに来たこと。もし、私が絶対に家に帰るって言ってたら、会話の無限ループから一生抜けられなかったと思う。
「まぁ、ね……あの子は、家族からのプレッシャーを常に浴びながら、育ってきたから。自分らしくいられなかったんだろうね。欲しいものがあっても、貰えなかったはず。それで、何かしたいと思うと、間接的に伝えて……さっき、私たちは料理をオーダーしたよね? もしかしたら、やつをいじめてるみたいに見えたかもしれないね。でも、実際は好きなものを選んであげたんだ」
「え?」
「やつが美味しそうって言ったら、本当は興味がない、もしくは食べたくない。逆に、美味しそうに見えないとか、興味がないって言葉は、食べてみたいってこと。食べたいけど、正直に言えないって意味」
初めて知った。世の中にはこんな人もいるのね。
「そういえばさ。学生の時に、私たちはよく屋台でソムタムを食べていたんだ。その時に、ソムタム・プラーラー*を頼んだら、レディのやつ、すごく嫌そうに、汚いって言っててさ。でも、その後にね。やつってば内緒でタム・マムアン・プー・プラーラー*を買って、学校の人がいないところでこっそり食べてたんだ。それがバレたとき『何が悪いの?』って顔をしてさ。『私の身体の中が綺麗過ぎるから……とか、ローカルな食べ物の味を試さないと、平民の気持ちが理解できないでしょう?』とかなんとか説明しててさ」ティーさんは学生時代を思い出したみたいで、笑った。そのエピソードを聞いて、そんなサムさんも可愛いなぁ……って、私も少しだけ笑った。
「皆さんは、サムさんのことをよく理解されているんですね」
「ほら、こんなに長い付き合いだから。やつのことをよく知っているのは当然なんだ。今まで会った中で一番からかいたくなる人間だな。何かしても、絶対怒らない。それか、怒っても全く顔に出ないから、私たちが気づかないだけかもしれないね。でも、やっぱりやつは可愛いよ。友達じゃなかったら、ナンパしてたかも」
「どうして、えっと……」質問したいことがあったけれど、聞くのがちょっと恥ずかしくて、口をつぐんだ。でも、ここに来てからずっと気になっていたことだから、もう一度言葉を紡いだ。「どうして皆さんは、サムさんのことをモ……」
「モイ」
ケードさんは、恥ずかしがりもせず、しっかりと声に出した。私にとっては、とても言いづらいこと。下品な言葉は使わないし、あまりよく分からないけど、みんなが使っているその言葉の意味は知ってる。
「そうです」
「名前はサムじゃない? それでレディだから、モム・サム*って呼ばれていたんだ。私たちは言葉をいじるのが好きだから”ヨイ”って後ろにつけたんだ。それで……モム・サム・ヨイに変わって……」
「モム・サム・ヨイ……モイ・サム・ヨム……ってね。昔からモイって呼んでるんだけど、やつは怒ったことなんてない」ティーさんがニコニコしている。ケードさんも笑いながら話を続けた。
「最初はね、いかにもお嬢様って感じで……。みんなから嫌われてたの。でも、ちゃんと本人に接してみたら、すごくいい子だった……やばっ、時間忘れてた。モイが来る。ちょっと、電話番号教えて」ケードさんは焦りながらも、話し続けた。
「メッセージアプリ、入れてるでしょ? 番号でアカウント調べるわね」
「えっと……その、はい」
「教えて! 早く!」勢いに圧倒されて、何も考えずに自分の電話番号を伝えた。お姉さんたちは、急いで番号を登録してから、パチッとウインクしてくれた。「サンキュー。知りたいことがあれば、これで聞いてね。それでは、今から少しゲームをしましょう」
「え?」
「モンちゃんについて、モイの気持ちが知りたいの。ほら、来たよ」
すぐにサムさんは戻ってきた。私の横に座っているのを見た途端、背中を押してティーさんを元の席に追いやった。それからサムさんは、空っぽになったその席へ座った。ケードさんとティーさんは顔を見合わせて、質問をし始めた。
「モイ」
「サムって呼んで」
どんなに注意しても、サムさんの言葉はケードさんの耳をすり抜けているみたい。無視して、話を続ける。
「モンちゃんって、可愛いと思わない?」
なんのために聞いたんだろう。サムさんはチラッと彼女の方を見て、それからじっと私を見つめた。嫌そうな顔をして。
「いや、全く」
「モンちゃんのこと、嫌いなの?」
サムさんは、何も言わなかった。でも、しばらくして、はっきりとした声で答えた。その答えは、サムさんをよく知っている友達と、さっきこの人が素直に自分の考えを伝えられないタイプだって、知った私を笑顔にした。
「うん、嫌い」
ドキン……。
第十章につづく
*モイ
友達に付けられたサムのニックネーム。意味は「あそこの毛」
*マータ
タイでは美人なモデルのイメージがある名前として有名。
*ジム
タイ語で女性器の意味。
*ジュー
タイ語で男性器の意味。
*スコンナワット
タイで有名な俳優の名前として有名。
*プラーラー
魚を塩と麹に漬けて発酵させたタイの調味料。ものすごく臭い。
*タム・マムアン・プー・プラーラー
ソムタムの一種。ソムタムに酸っぱいマンゴ、カニ、とプラーラーを入れる。
*モム・サム
タイ語版のレディ・サム。
こちらはGAP Pink Theory配信版です。
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