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【無料公開】ギャップ・ピンクセオリー|第七章 お願い【期間限定】





第七章 お願い


 サムさんと一緒に、あの大衆食堂のティでイエンタフォー*を食べている。なんでこんなことに……?

 確かに昼休み中、ご飯を食べに行く約束をしたけど。忘れたふりをして、家に帰る準備をしていた。すると、サムさんは私が何を考えているのかわかったみたいで、こんなメッセージを送ってきた。


「車で会おう」


 それから今日は、何百万バーツもする高級車に乗った。そう、この前バスの中でノップとかっこいいねって話をした、サムさんのあの車に。お店に着くまでの間、サムさんに話しかけてみたけど、あまり上手くいかなかった。本当に分かりづらい人だ。

「サムさん」

 美しいその人は、目の前のイエンタフォーから目を離し、綺麗な茶色の瞳で私を見つめた。

「ん?」


「本当にお腹が空きましたね」


 全然、返事をしてくれない。一緒に食べる人が欲しくて誘ったんじゃないの?ちょっとは相手に興味を持ってほしい。

「でも、あんたはあんまり食べてない」

 だって、辛すぎたから。私にできるのはただご飯を眺めて、悲しく唾を飲み込むことだけ。でも、どうやら、真向かいに座っている人は違うみたい。その人はまるで、生きるために辛いものが必要不可欠みたいに、唐辛子を足していく。今まで読んだ雑誌のインタビューには辛いものが苦手って書いてあったけど。

 なんで、私が知っていることと何もかも違うのかな。

「辛くて」


「あんまり辛くない」

「サムさんは、よくここにいらっしゃるんですか?」

「そんなに。今日、これが食べたかっただけ」

「サムさんって、こんな物も食べるんですね」


「どういう意味?」

「高級レストランの料理か、王室の食事しか好きじゃないのかと思っていました」


「レディだから、王室の食事をとらなきゃいけないって訳じゃないよ。モン・ラジャウォン*のランクからはみんなただの庶民……知らないみたいだから、教えてあげる。『チュターテープ*』見たことある?」


「レディ・テウのシーンなら見ました」

 何口か食べた後、サムさんは箸とスプーンを置いた。

「ここで一緒に食事をしたことは、誰にも話さないで」

「話しません。でも、サムさんが私をご飯に連れて行ってくれた、なんて周りに言っても、誰も信じないと思います。ただ、どうしてカークさんを誘わなかったんですか?」


美しい人は説明しながら、さらに唐辛子を入れた。それを見ていた私は、少し気持ち悪くなって、もう一度唾を飲み込む。

「あの人は、こんな料理食べないから。あたしはたまに食べるけど。あんたって、質問が多いのね」

「ただ……サムさんと話したくて」

 また馴れ馴れしい子みたいに見られる。咄嗟にそう思って、うつむいた。その様子を見たサムさんはテーブルの下で自分の足で、私の足に触れてきた。

「これは別に怒ってない。答えてみただけ。ほら……いっぱい話そう」




 サムさんは姿勢を正してから、真剣な表情で私を見た……あまりにも真剣で私が緊張するくらいに。誰かと話すときには、もっと楽にしていた方がいいと思うけど……。今度はなんだろう。

「えっと……ちょっと真剣すぎて、何を話したらいいか思い出せなくなっちゃいました」

「なんでもいい。言ってみて。あたしは話すから」

「なんでも?」

私は、ちょっと口の端で笑ってから、顔を後ろに向けた。

「サムさんはワット・スタット*って知っていますか?」

「知ってるよ。この辺りにあって、サオチンチャーに近いよね?」

「それじゃあ、ティのエンタフォーみたいに有名な、パットタイ・パテゥピーというお店があるんですが、そちらは知っていますか?」


「そこは知らない」

「そこは、昔から幽霊の扉、パテゥピーと呼ばれているんですって。ラーマ二世の時代にコレラという病気が流行って、多くの人が亡くなって……。当時、街内で火葬を行うことは法律違反だったので、そのお寺まで亡くなった人を運んでいたらしいです。それで、みんなの通り道だった扉は、いつの間にかパテゥピーと呼ばれるようになったって。それと、そのお寺にはハゲタカがたくさんいたみたいです。どうしてか分かりますか? ご飯を食べにきてたみたいです。そう、置かれた死体を……。」


長い話をした。でも、サムさんは一生懸命聞いてくれて、可愛いかった。実は到着する前に、お店がどこにあるのか調べていて、偶然この話を知った。それで、これを覚えてあの人をいじめるために使おうって思ったの。  サムさんはいつもクールに振る舞っているけど、今日は私が怖がらせちゃうんだから。

「もう一つあります。ワット・スタットにいる餓鬼の話。この餓鬼たちは背が高くて、針で開けた穴がくらい、ものすごく小さな口だそうです。人間から何か価値のある物を奪おうって夜中に現れては、声を出しています。ある人は、その声をこんな風に言ったみたいです、まるでピューって口笛を吹いたみたいな音だった……って」

サムさんにイメージしてもらおうと、私は口笛を吹いてみせた。

「この餓鬼たちは、二階に住む人たちを好むそうです。なぜって……彼らの大きさにピッタリで、窓越しに見つめられるから……」

「よく知ってるのね。あんたは餓鬼の仲間なのかしら」


 あっ……。

「いえいえ、お話をしたいだけです」


「聞きたくない」


「じゃあ、メー・ナーグの話は?」


「顔を引っ掻くわよ」

 そう言ってサムさんが、私の顔をじっと見てきた。つい笑ってしまう。いつもあまり喋らない人が、顔を引っ掻くよ、なんて猫みたいで可愛い。きゃあ……。

「もう話しませんよ。サムさんって意外と怖がりなんですね。可愛いです」

そう言いながら、コップを手に取り、水を飲んだ。サムさんは頬を膨らませて、少し尖った声を出した。まるで、ちっちゃい子が怒ってるみたいに。


「あたしに可愛いって言うな」

「じゃあ、なんて言ったらいいんでしょう」

「美人」

 プハッ!

 思わず、飲んでいた水を噴き出した。コントロールなんてできなくて、水はサムさんの顔全体に飛び散ったし、むせて咳が止まらない。一方サムさんは、ゆっくりと目を閉じてから、近くに置かれていたティッシュを取りに行った。そしてまず、自分の顔を丁寧に拭いてから、私の分のティッシュを渡してくれた。

「あんたは可愛くない。女性なのに、水をこんな風に噴き出すなんて良くないわ」

「すみません。ゴホゴホッ」


まだ咳は、止められなかった。サムさんはしかめっ面をしながら一瞬こちらを見て、すぐに私の後ろに行き、背中を軽く叩いてくれた。

「子どもみたいに、むせてる。もう大人なのに」


「自ら美人って言い出して、びっくりしたんです。自分を褒めたりするから……」


「褒めたわけじゃないわ。周りのみんなが、そう言うから」


本当に分かっていなさそうな顔で、サムさんがそう話した。

「冗談だと思ってる? 人類の中で一番冗談が下手そうっていつも友達に言われてるのに」


「冗談なんて、言おうとしなくて大丈夫です。サムさんはそのままで面白いですから。ただ、その面白さを見つけるのが、ちょっと難しいってだけで」

 むせ続けていたのが、少し治まってきて、私は背中を叩いてくれているサムさんに目を合わせた。お互いに、二秒くらい、相手の目を見つめた。それから、綺麗なその人は、私の背中から手を離して、真っ直ぐに立ち直した。

「帰ろう。もうお腹いっぱい」


「そうですね。だいぶ遅い時間だし……。ここにもっといたら、本当に餓鬼に会っちゃうかも」

「……」

 何も返事をせず、サムさんはレジへと向かって行った。もうすぐ九時になる。車に乗ってからも、美しい人は一言も発さず、黙り込んでいた。だから、私は自分から話しかけてみることにした。

「私を家まで送らなくても、大丈夫ですよ。遠いので。この辺りにあるバス停までお願いします。そうしたら、なんとか帰れますから」





「頭、痛い」

「大丈夫ですか?」

少し驚いて、サムさんの方をみた。

「結構痛いですか?」


「すごく」


「じゃあ、私はここで降ります。サムさんは、すぐ家に帰ってください」

 そう言ったのに、サムさんは無反応で静かに運転をし続けている。道沿いで止まるために、曲がったり、ハザードをつける様子もない。どうやら私のお願いは、叶えてくれないみたい。

「あたし、めっちゃ頭痛いよ」


「お医者さんの所に行きますか?」


「薬を飲んだら、すぐ良くなる」


「なら、ここで降ろしてください。高いですが、タクシーで帰ります。そしたらサムさん、ゆっくり休めるでしょう?」


「タクシーは危ない。それに、もう夜遅すぎる」


「でも、私の家は遠すぎます。あそこまで行くのは大変だと思います」

「頭が痛い。片頭痛かも」

 なんで私たちの会話って、いつも繰り返しなんだろう。サムさんは何かを伝えたいみたい。でも、直接的には言ってくれない。

「じゃあ、どうしましょうか」


「あんたの家は遠い。あたしは、そこまで送れない。帰りに、一人で運転して帰ってくるのも危ない」


「なら、ここで私を……」


「もう夜遅い……」

「タクシーを呼びます」


「それも危ない」


「わかりました。じゃあここで……」


「あたま、いたいなぁ」


 神様、今、私はロボットと話しているのでしょうか。どうやってサムさんに対応したらいいのか分からない。それで、仕方なくまた同じ質問をした。

「なら、どうしましょうか?」

「めちゃくちゃ頭痛い、本当に」

 泣きたい。サムさんは私にどうして欲しいのかな。この会話の無限ループから、抜け出す言葉が絶対にあるはず。

「私がサムさんを、家まで送ってもいいですか?」


「優しいね」

 サムさんの家に到着するまで、お互いに、沈黙を守っていた。一度来たことがある、あの家。到着して、サムさんが車を停めたのを確認した後、腕時計に目をやった。時間はもう十時過ぎになっている。

 帰ろうと思っていたその時、私の携帯が鳴った。ノップからの電話。きっと、私の帰りを待っているんだ。

「モン、今どこにいるんだ? こんな時間になっても帰らないで……どうした? もう十時だぞ」


「サムさんの家にいるの。一緒に晩御飯を食べたんだけど、サムさん頭痛くなっちゃったんだって」


「まだサムさんの家にいるのか? んで、何時に着く? すっげー遠いだろう?」


「タクシーで帰るから、ちょっとまだ……」

「頭が痛いなぁ」


突然、サムさんが遮るように喋り出した。それから、寄りかかるように車の屋根に頭を乗せた。

「今日、絶対に死ぬ」


「すごく痛いですか?」


「すごく。後で、吐くかもしれない。あまりにも痛いと、いつも吐いてるんだ」


その話を聞いて、可哀想に思ったのが表情にも出ていたと思う。

 その間にも、電話口のノップは一生懸命、話していたのに。

「でも、あんたはこう言ったよね。あたしがもし、目の前で死にかけていても無視するって。この家に一人暮らしで、面倒を見てくれる人もいない。あたしって、本当かわいそうだなぁ」

 なんて暗い話を……。

「大丈夫。明日は休みだから。もし頭が痛くなっても、一人で苦しめばいい。ご飯を準備してくれる人もいなくって、かわいそうなレディだなぁ」

「ノップ、ちょっと待ってね」

電話先の友達に少し待ってもらって、心配そうに調子が悪いその人を見た。 「本当に一人暮らしなんですか? サムさんって」

「うん。家の電気を見れば分かるでしょう? 暗いよ。誰もいない。ペットすらね」

「頭が痛いのに、一人でいるのは辛いですよね」

「面倒を見てくれる人がいないから」 そう言って、サムさんは頭に手をあてた。

「かわいそうな人だなぁ、私って。でも、我慢する。階段を昇る時に落っこちるかもしれないけど、あたしは頑張って這い上がる」

「もしよかったら、一緒にいても大丈夫で……」

「いいよ」

 まるでその言葉を、待ち構えていたみたい。私が言い終わる前に、サムさんはすぐ返事をした。それに、ちょっと確信はないけど、頭の痛みが消えているようにも見えた。


「じゃあ、父に聞いてみますね。どこかでお泊まりすることを、父は中々許してくれないんです。娘が家以外の場所に泊まるのは、男の人といるって思うみたいで」


「私から、話してあげる」




 サムさんが手を差し出しながら、そう言った。ノップへお父さんに代わるよう伝えてから、サムさんに携帯を渡した。サムさんは丁寧に自己紹介をして、何か話し込んでいた。お父さん、今の状況をちゃんと分かってくれるかな。自信がない。しばらくて、サムさんは電話を切って携帯を返してきた。それと同時にちょっと肩をすくめながら。

「あんたのお父さんから許可もらったよ。帰りは明日になってもいいって」

「父は、何か文句を言ったりしませんでしたか?」


「なにも」

 さっきまであれだけ体調が悪いと言っていたサムさんは、なんでも無さそうな様子で家に入ろうとした。でも、パッと私の方を向いた。その表情は何かに驚いてるみたいな感じ。


「モン」

「はい」

「あたしに、憧れているの?」

 倒れそうになって、よろめきながら後ろに一歩下がった。サムさんは私の様子を見ながら、何も言わないままで肩をすくめている。

「あんたのお父さんが、そう言ってた。ちょっと驚いたよ。珍しいね。あたしにファンがいるんだ」

 そう言って、美しい人は家に入っていった。顔を真っ赤にして、立ち止まっている私を置いて。それから、私は顔の赤みが引かないままに、中へ足を踏み入れた。もしいつか、一回でも私の両親とサムさんが会う機会があったとしたら、二人が全部喋っちゃうって予想してた。でも、まだ会った訳じゃない。ただ、声だけ、そう電話で話しただけ。なのに、そんなことまで話したんだ……。しかも、サムさんの声は勝ち誇ったような感じだった。これからどうしたらいいの。

 家に足を踏み入れると、主人がスイッチを押したので、白い光がパッとついた。間違いなく、中のインテリアはプロがデザインしたものだろうし、家具は少ないけれど、全部が高級品で揃えてある。


 サムさんらしい……。

「えっと、私は下の階で寝ます。いいですか?」

「ダメ」 階段を上がろうとしていたサムさんは、チラッと私を見た。

「あんたが何か盗って、自分の家に持ち帰るかもしれない。危ないわ」

「私は、泥棒じゃありません」

「安心できない。上で一緒に寝なさい。ベッドが大きいのよ」


 なんでだろう。分からないけど、同じベッドで寝ようという言葉が誘い文句みたいで、恥ずかしくなってきた。固まっている私を見て、サムさんは冗談ぽく話しかけてきた。表情に笑みはなくて、真顔なんだけど。

「なにやってるの? あたしのファン。おいで」


「サムさん、私をからかってるんですか?」


「びっくりしたわ。会社に入った理由も、あたしに憧れてるからなんだって?」 話しながら、サムさんは足取り軽く階段を上がっていく。さっきまで体調がよくないって言っていたその人を見ながら、私は目を細めてため息をついた。


「片頭痛持ちの人は、頭が痛いとあまり話せなくなるって聞いたことがあります。サムさんは違うみたいですね」


「そう?」


「本当は頭、痛くないんでしょう?」

「もし痛くないなら、あんたを泊める理由がないじゃない」

 チャンスだ。私の番ね。そう思って微笑みながら腕を組み、その場で立ち止まった。二階に行こうとするサムさんを、追いかけずに。

「理由は、サムさんはお化けが怖いから。そうですよね?」


「違う」

 返事の内容とは裏腹に、声はもう硬くなっている。直接的に言わないけど、その様子から、どうしてサムさんが私と一緒に寝たがっているのか、本当の理由が分かった。


「じゃあ、私は下で寝ます」


「いやだ」


「なら……」


タコのように口をすぼめ、キスをするみたいな形にしてから、少し挑発するみたいに笑った。

「モン様にお願いしてみたら?」


「なんて言ったの?」


「モン様、一緒に寝てくださいってお願いできたら、私を簡単に二階に上らせることができますよ」

 一瞬私たちは目が合い、見つめ合った。でも、サムさんの目力はあまりにも強すぎて……耐えきれず、先に逸らしたのは私だった。つい他の所へと顔を向けて、うつむく。もう……いじめたかったのに、あっさり負けちゃった。

「お願い」

 え?

 私は顔を上げて、もう一度サムさんの目を見つめ返した。サムさんは頬を膨らませて、不機嫌そうな声でこう言った。

「今夜は、あたしと一緒に寝てください。お願いします」


 

第八章につづく





 

*イエンタフォー

タイラーメンの一種。タウフーイーと呼ばれる紅腐乳を使ったピンク色のスープが特徴。


*モン・ラジャウォン

王族の中で一番下の階級。国王又は王子と庶民の息子と娘に与えるランクのこと。


*チュターテープ

タイのドラマ。モン・ラジャウォンランクの人が主人公の話。


*ワット・スタット

バンコクにあるタイのお寺。よく幽霊出る場所として有名。


 

こちらはGAP Pink Theory配信版です。

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