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【無料公開】シークレット・オブ・アス|第三章 あなたのことは知りたくない

  • ミーナム
  • 8月1日
  • 読了時間: 10分
シークレット・オブ・アス 第三章

シークレット・オブ・アス 第三章 あなたのことは知りたくない

 目覚まし時計がセットされた時間通りに正確な音を響かせる。眠気を帯びた瞳が薄く開き、医師としての朝の意識を呼び起こす。まだぼんやりとしていたいが、ゆっくりとベッドから起き上がる。細い体には、昨日甥と姪と遊びすぎたせいでできた小さな赤い跡が残っている。

 冷たいシャワーを浴びると、ラダーの眠気も少しずつ洗い流されていく。細い指がローズの香りの石鹸で身体を優雅に洗い、いつものように浴室で流れる音楽に合わせて微かに鼻歌を口ずさんだ。

 ミルクのように滑らかな美肌を、刺激しないよう柔らかなタオルでそっと拭き取る。ゆっくりとした仕草で自身の肌をいたわりながらも、今日も医師としての一日が始まる。患者を待たせるような行動は許されないため、医師は常に準備を整えている必要があった。

「ラダー、今日は病院で皮膚科のプレゼンター選考会議があるけど、出席するのか?」

「何時からですか?」

「十時に会議があるから、参加してみてほしいんだ。経営のことも学んでほしいからね」

 父が娘に問いかける。次期院長として、運営管理についても学んでほしいと願っているのだが、本人はいつも理由をつけて会議を欠席しがちだった。

「ラダーに用事がなければいいんですけど、なぜ病院が皮膚科と美容クリニックの宣伝をする必要があるんですか?今でも十分、患者さんや相談に来る方は多いのに」彼女は、セントキング病院の皮膚科や美容クリニックの広告活動について、まだ疑問を抱いている。既に患者や顧客の数は多く、予約でいっぱいだというのに。

「競争が激しくなっているんだよ、ラダー。民間のクリニックも次々と競争力を高めている。今のままで満足しているわけにはいかないよ」

「わかりました……。それじゃ、お仕事に行ってきますね、お父さん」

 看護師やスタッフからの挨拶や声かけ、そしていつものコーヒーを用意してくれる看護師への笑顔。ラダーは自身の診察予定を再確認しながら、追加診察の患者がいるかどうかをチェックした。

 コン、コン、コン!

「ラダー先生、準備はよろしいでしょうか」

「はい、大丈夫です」通信機器の音はすぐに切られ、患者の診察を妨げないようにした。今日最初の患者が誰なのかを見ると、ラダーに再び笑顔が広がった。

「おはようございます、ファーラダー先生」女性のように高くしようとする力強い男の声に、ラダーは思わず笑いをこらえきれなかった。

「おはようございます、ソムチャーイさん」

「まぁ! 先生、ソムチャーイって呼ばないでください、台無しになっちゃいますよ」

「私はIDカードに書かれている名前で呼んでいるだけです」

「ソムチャーイだなんて、家族に呼ばれるだけで十分ですよ。私のことはスージーって呼んでください」

 ソムチャーイは大柄な男性だが、服装からメイクアップまで含め、完全に女性の心を持っている。ラダーは、そんな彼の姿を見るたびに笑いを堪えるのに必死になる。様々な患者に出会ってきたけれど、彼女はこんな風に自分を表現する男性にはまだ慣れていなかった。

「はい、スージーさんはスージーさんですね。今日は何をしに来たんですか?」

「先生、芸能界のお仕事に興味はありませんか?」スージーは熱心に、ラダーを芸能界に誘い続けている。モデル並みのスタイルを持つラダーは、身体のどの部分を直す必要もないほど完璧だった。

「もう何度目ですか、その話」

「先生、もう一度だけ考え直していただけません?」

「遠慮しておきます。私はこの仕事が専門ですし、芸能界はあまり好きではありませんから」医師は相変わらず優しく微笑んでいるが、はっきりとした口調で芸能界入りの誘いを断った。

「もう一回だけ考え直してくださいません?」

「もしスージーさんがこの話を続けるなら、私は他の患者さんの診察に行かないといけないかもしれません」その言葉に、多くの有名人のマネージャーを務めるスージーは思わず怒った表情を見せた。ファーラダー医師は、芸能界に入ることを全く考えていない初めての人だった。

「分かりました、もう言いません」

「今日はどうされますか?」もし医師が様々な患者に対応する経験がなければ、ラダーは有名な芸能人のマネージャーに対して、柔らかい声で話すことはなかったかもしれない。

「スージー、ニキビがいくつかできちゃったんです」

「てっきりボトックス注射かと思いましたけど」

「先生ったら、それはこの前お願いしたばかりですよ?」ラダーのそっけない反応に、スージーは少しムッとした表情を見せた。この医師は本当に芸能界に興味がないのだと改めて実感する。自分がどの有名な芸能人のマネージャーだと名前を挙げても、ファーラダー医師は全く知らないのだから。

 時間は過ぎ、診察する患者も次々と入れ替わっていった。ラダーは携帯電話でスケジュールを確認すると、父にメッセージを送り、会議に出席できなかったことを謝罪し、プレゼンターの選定についてはマーケティングチームに任せて良いと伝えた。

 コン、コン、コン!

「先生、お昼はお部屋でお召し上がりになりますか、それとも……」

「マイさん、何か適当に買ってきてくれる?」

「揚げ卵でよろしいですか?」ファーラダー医師の返答を待つ看護師は嬉しさを隠せなかった。女性が好きなマイにとって、ファーラダー医師の微笑み一つで胸が高鳴るほど、心が躍ってしまうのだ。彼女はその喜びを抑えることができなかった。自分が女性を好きだからこそ、ファーラダー医師に近づかなければ、その笑顔を見るだけで胸が高鳴ることは誰にも分からないだろう。

 ラダーの顔から笑顔が消え、仕事部屋のドアが閉まると同時に、冷静な表情が残った。美しい瞳がうつむき、息をゆっくりとリズムよく吐き出す。その動作は、疲れたときや騒がしい現実から逃れたくなるときに彼女がよくしていたことだった。

 かつて、あの人の細い手が自分の体を優しくマッサージし、心身ともに癒やしてくれていた時期があった。その手の温もりや甘く癒されるような時間は、もう二度と戻っては来ないだろう。

 別れ際に聞いた言葉や理由は今でもはっきり覚えている。思い出すたび、自分の愚かさを嘲笑いたくなるほどだ。あんなにも愛し合い、毎晩のように抱き合い、お互いの温もりを感じていたのに、あの女性が突然別れを告げ、自分を置いて去っていったなんて。

 あの金髪の外国人男性は、自分より何が良かったのだろうか。男性だったから?それとも近くにいたからか。けれど、彼女は卒業するなりすぐにタイに帰国し、別れの挨拶もなかった。その後は寂しさを紛らわすために、時には酒に頼り、酔い潰れて眠る夜もあった。

 辛い時間を過ごしたラダーにとって、その傷は深かった。あれほど必死に理由を尋ね、許しを請い、やり直すチャンスを求めても、まったく相手にされなかったことが彼女の心を蝕んだ。

 こんなに辛い想いをするのなら、もう誰か別の人を見つけて、過去の想いを忘れてしまった方がいいのだろうか。ラダーはそう思いながらも、どれほど努力してもあの人を忘れることができずにいた。

 愛というものは誰もが求める甘美なものだけど、時には鋭い棘となって人の心を深く傷つけることもあるのだ。


 セントキング病院の皮膚科と美容皮膚科のプロモーション用スポット広告撮影に関する詳細資料は、デスクの上に置かれたままだった。どんなに納得がいかなくても、どれほど嫌だと思っていても、すでに何も変えることはできなかった。最終的な決定権は院長だけにあり、それを覆すことは誰にもできないのだから。

 勤務時間がとっくに過ぎているにもかかわらず、ラダーは疲れた様子でデスクに座り続けていた。今日は患者が多く、スケジュールがぎっしり埋まっていたためだが、時計を見ると、彼女はようやく重い腰を上げて休息を取るため帰宅の準備を始めた。

 車のドアを開けようとしたラダーの視界を、大きなサングラスをかけた女性が横切っていった。白衣姿の華奢な背中が見えた瞬間、ファーラダー医師の目は無意識に釘付けになった。

 憂いを帯びた美しい瞳は、ちょうど駐車場を出て行った黒いフィルムの貼られたバンが視界から消えるまでずっと見つめ続けていた。ただの偶然なのに、あの残酷な女性を思い出してしまう自分に呆れる。バンコクという街は、こんなにも狭いのか……。

(もう長い時間が経ったのに、まだ考え続けてるなんて)

 午後二時からの予定が変更された。ラダーは、病院の院長の要望と、彼女が広告に出演することに賛成した多くの関係者の意向により、プレゼンターと一緒に写真を撮ることが決まった。

 しかし、それでラダーの午前中が完全に空くというわけではない。診察のスケジュールは依然として満員で、診察を待つ患者の数は多いため、昼前なのにすでに二杯目のコーヒーが注文された。

 彼女は広告出演を拒否したかったが、院長が最終的な決定権を握っており、自分の一存で変更する余地はまったくなかった。

 撮影の時間が近づいているにもかかわらず、ラダーの診察はやっと終わったところだった。彼女は美しい目を閉じ、椅子の背にもたれて身体を休めた。可能ならば、ほんの少しでも休憩を取りたい。昨晩は急患の対応で深夜まで働いていたため、身体には疲れが溜まっていた。

 トントン、トントン、ノックの音が響く。

「ラダー先生、撮影スタッフからお呼びがかかっています」

「うん……撮影まで十分だけ待つように伝えて」

「でも……」

「待てないなら撮影はなしにします」普段は穏やかなラダーの冷ややかな口調に、看護師はすぐさまドアを閉めた。いつもは優しく、決して苛立ちを見せない医師だが、一度でも怒りが表に出れば、誰も近づきたくなくなる。美しい天使だって、いつも優しいとは限らないのだ。

 撮影用の特別室に上がるとき、どんなに気が進まなくても、ラダーはいつものように仕事に対する責任を果たした。美しい笑顔をスタッフに向けると、すぐにスタッフたちが挨拶をしながら近づいてきて、手元の撮影用の台本を渡してきた。

「ファーラダー先生、どうぞ。今、スタッフがすべて準備を整えました」医師の美貌にスタッフたちは一瞬見とれてしまった。まさか医師が、芸能界の女優にも劣らないほど容姿端麗だとは、誰も想像しなかっただろう。この広告はきっと評判になるに違いない。

「はい、何をすればいいですか?」

「今日は二つの美容コースの説明をしていただくだけです。あっ、ちょうどアーンさんが来ました。まずファーラダー先生にご挨拶して」スタッフが後ろにいる誰かの名前を呼んだ瞬間、ラダーの心臓が大きく跳ねた。

 ラダーはその名前を聞いて動揺したが、それは次のシーンの撮影を待って休憩していた後に部屋に入ってきた人物も同じだった。その人はラダーが白いコートを着ている背中をじっと見つめ、動けなくなった。自分の心臓が速く鼓動していることに気づかないまま、無意識に手を強く握りしめていた。

 まるで世界が止まったかのようだった。振り返ったその瞬間、再会した二人の視線が交錯した。今、人気急上昇中の美しい女優は、息を詰めるようにして立ち尽くしてしまった。医師服姿の女性を前に、自分がどのような表情をしているのかさえわからないほどだった。別れてから約一年が経ったというのに、彼女の姿を忘れることなどできなかった。

「アーンさん、こちらがファーラダー先生ですよ。今回一緒に撮影していただく方です」

「はじめまして、ファーラダー先生」近づくことさえできなかった。長い間親しかった人のように挨拶することもできなかった。ラダーの冷静な目線が、彼女を思わず泣かせそうにさせた。

 甘い声、以前よりも美しく見える顔立ち、そしておそらくしっかりと手入れされている、滑らかな肌。その女性の魅力に、ラダーは無意識のうちに冷静な目でじっと見つめた。その目は誰にも気づかれないかもしれないが、実際にはその医師の心臓が乱れたように鼓動していることを示している。その目の前の女性が、かつて彼女を振った冷酷な女性だからだ。

 白衣のポケットの中に隠された手は震えていた。その震えは、心の痛みと共鳴していた。目の前の女性はかつて自分の心を深く傷つけ、一年近くも胸の痛みを引きずらせてきた人物だ。だからラダーは何も言わず、表情もないまま、ただじっと立ち尽くすだけだった。そして冷たい声で静かに告げた。

「申し訳ないけれど、私はあなたと知り合いたいとは思いません」


第四章 挑戦】に続く


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