クレイニアム｜第二十章【支援者先行公開】
- Nalan
- 8 分前
- 読了時間: 12分
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小説『クレイニアム』 第二十章
ブサヤー博士は、灰色の柔らかな革張りソファへと身を投げ出した。疲労困憊だった。一日じゅう彼女は、顔貌復元の検証作業に没頭し、別の変数を組み合わせては結果を試していたが、何も新しいものは得られなかった。幸い今は、そうした作業を迅速かつ精密にしてくれるソフトがある。二次元モデルとはいえ、時間の節約には大いに役立つ。だが、あの無駄に元気なピンは、手作業で三次元モデルを作れとうるさい。今は必要ないとブアは思っていたが、あの自己中心的な女は説得したり圧をかけたりしてくるばかりで、とうとう苛立ちが募ってきた。
（そこまで言うなら、自分でやればいいじゃない）
日々の業務だけでも這うように部屋へ帰るのがやっとだった。それでも運命は味方をしてくれたのか、ピンがどこからか舞い戻ってきてくれた。確か昨日、彼女がぽろりと口にしていた。最後に滞在していたのはスペインだと。最新の現地調査から棺や木箱を山ほど運んでマドリードに着き、四つ星ホテルのベッドに身を沈めたとき、二年前に姿を消したきりの彼女に、かつての恩師から帰国命令が下ったのだと。
さらに驚いたことに、ニサラー准教授はピンを研究所の副所長に据えた。誰もが目を白黒させた。
だが、何をどう決めるかは創設者であるニサラーの専権事項。ブアは一度もその判断を疑ったことはない。
むしろ結果的に得をしたのは彼女だ。自分が抱える業務の三割以上を、ピンに押しつけられるのだから。最初から望んでもいなかった副所長の職務。学部と大学院の講義。研究プロジェクトの監督。そして新しく入る院生の副指導教員……。
おかげで、ブサヤー博士には呼吸する余裕が少し戻った。
ならば、他に気を取られる理由などどこにある。
研究所の多くの者が、彼女とピンの過去を知っていた。特に同期や後輩たちは、恩師の寵愛を奪い合ったあの激しい争いを目の当たりにしている。当時、ブアは野心と情熱に燃えていた。古人類学、特に霊長類――なかでもホモ属を専門とし、形態学から社会的次元に至るまで広範な知識を持つ。理論面でこれほど秀でた研究者は珍しかった。目立とうとせずとも、その知識量で周囲から注目されざるを得なかった。
対するピンも負けてはいない。
彼女は恩師の直弟子として歴史時代の人類文明を専門とし、幾度も海外で現地調査を経験していた。大学院でブアと同じ博士課程に進む前、ピンは大量虐殺のあった国で、犠牲者の遺骨を収容し身元を特定する仕事に従事していたのだ。実地経験は、ブアの何倍もあった。
つまり、ニサラー准教授には二人の傑出した弟子が同時に存在したわけだ。 そのせいで、互いに反発し合い、机を並べていても口を開けば喧嘩腰。優秀であるがゆえに歩み寄れず、やがて「話さない方がまし」とまでなった。恩師も見かねて、ピンには海外調査の機会を頻繁に与え、ブアには研究プロジェクトと書類仕事を任せて距離を取らせた。
その結果、周囲の学生からは「ブアこそ恩師のお気に入り」「次代のスター研究者」と噂された。 だが内心では、ブアはピンを羨んでいた。表に出したことはない。自分は理論型の研究者であり、フィールドに出るより論文に向く――そうわかっていたから。
だが三年目、事態は急変する。ピンが突如「研究テーマを盗まれた」と騒ぎ立て、退学を申し出たのだ。さらに訴えを起こし、ブアは倫理委員会の調査対象となった。剽窃の嫌疑をかけられたのだ。その後、騒動の発端であるピンは姿を消した。
気がつけば――ブアは、今はその彼女の部屋のソファに横たわっている。
