第三十六章
手紙と届け物
アニンラパット王女がタイに帰国してから二ヶ月が経ち、タイのさる由緒正しき大学院では、建築学部インターナショナルデザイン科の入学者募集が始まった。アニン王女に付いた凄腕の後見人は、一週間もかからず手続きを颯爽と終わらせてしまった。
勉学に誰よりも精を出すアニン王女は、講義を受けるのはもちろん、講義がない日でも足繫く大学院に通い、教授や同じ学部の仲間たちと輪を囲んで意見交換をすることに励んでいた。
アニン王女が忙しなく学業に追われる中、ピンは対照的に、黙々と翻訳業務に取り組んでいた。王女と顔を合わせることがないことは、彼女の仕事にむしろ良い影響をもたらしている。しかし、アニンラパット王女が日が暮れても帰ってこないような日があると、気品溢れる彼女は急激に不安を覚え、これまで何度も向き合ってきた「待つ」という時間に対面することになる。
「今日もアニン王女の帰りは遅くなるのかしら、プリック?」
ピンはその答えを既に知りながら、昨日と同じ問いをプリックに投げかけた。彼女は力尽きたような様子でベージュ色のソファに倒れ込んだ。二十二時を過ぎても、松宮の主は姿を見せない。主がいないこの宮殿は、寂しさだけが漂っている。
「はい、レディ・ピン」ピンを心配したプリックは、どこからともなくすっ飛んでくると、彼女の心が枯れてしまわないように、その片腕に指圧をかけていった。「ここ最近、教授から興味深い話をされて、アニン王女は居ても立ってもいられず、いろいろと調べられているようです。専門用語や難しい言葉も多くて、プリックの頭では到底理解できませんでした」
「私の作ったシュウマイはいつも通り結納品送りとなるんでしょ」
ピンは深いため息を吐き出した。アニン王女と顔すら合わせることができない日々が、これで一週間ほど続いている。ピンは夕方ごろに丹精を込めて間食を作り、毎日松宮に届けに来ているのだが、時間が経って冷えてしまい、味が悪くなったものをアニン王女に食べてほしくないと思い、結果的に残った物は回りまわってプリックの腹の中に収まる日々が続いているのだ。
「このプリックが全責任をもって、食べさせてもらいますよ」
魅惑のシュウマイが敷き詰められた皿を見て、プリックは思わず舌を出し、口の周りをべろべろと舐め回す。
「ふふっ……」ピンは虚しさで失笑を浮かべた。「全部食べてしまってもいいから、もうプリックが好きにしてちょうだい。本当に食べてほしい人が帰ってこないから、捨てなければならないという方が、よほど悲しいことだもの」